なんか急性リンパ性白血病になった記

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みなさんからの贈り物をレビュー「ニートの歩き方」(pha)

よく分からない助けあいみたいなネットワーク

 例えば病気の人をネットで見かけたら、何百人かの人が千円をその人に振り込んであげるようになったとする。そして病気になったときにカンパをもらった人は、他の人が病気になったときは今度は振り込む側に回る。そういうサイクルが定着したとしたら、それはもはや保険制度と同じようなものじゃないだろうか。
(…)
とすると、病気や事故に遭った人にみんながインターネットから少額のお金を振り込むというカルチャーが定着して順調に回っていったとしたら、それは保険制度と同じような効果を保険会社という胴元抜きで実現するようなものじゃないかと思う。
(…)
 もちろんなかなかそんなにうまくはいかないだろうし、そういう仕組みだけで完全なセーフティネットになるとは思っていない。でも、社会のメインシステムである資本主義や市場経済とは別に、補助的なものとしてそういうよく分からない助けあいみたいなネットワークが広がったら、現在生きづらい人がちょっと生きやすくなるんじゃないかと思っている。
 
 『ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』 pha (著) pp. 80-1

こういうバランス感覚だなーと思う。


気軽にあげたりもらったりすること

 僕自身もお金をもらうばかりじゃなく、自分よりもお金のなさそうな人や困っている人や、こいつはヤバくて面白そうだと思った人などにはときどきお金を振り込んだり物を送ったりしている。僕も貧乏なので、五百円とか千円とかいった小額だけど。
 それはコンテンツとして僕自身が面白がるためというのもあるし、自分が率先してそういうことをすることで気軽にお金を振り込む行為が定着して欲しいっていうのもある。
(…)
 お金をあげたりもらったりすると、そのあげたりもらったりした人間同士の間に、ただ話をしたりするだけよりも強い結びつきが生まれるように感じる。お金をあげるのは自分の自我を拡張すること、って言ってもいいかもしれない。五百円なら五百円分だけ、五千円なら五千円分だけ、自分の自我がどこかに拡張する。僕はそれが面白い。
(…)
 ただ、お金をあげたりもらったりする際に大事なのは、「あげたほうがあまり威張ったりしない」ということだ。お金をあげたからといって、相手に言うことを聞かせようとしてはいけない。お金の分だけ人になにかをさせようというのなら単にサービスを買っているのと同じだ。そうではなく、一旦お金をあげたら相手がそれをどう使おうが相手がどんな態度を取ろうが、対等な人間として相手を尊重しないといけない。それがパトロンの心得だ。
 あともう一つ大事なのは、「もらったほうは感謝の気持ちを忘れない」ということだ。お金をもらったからといって卑屈になる必要はないけれど、「この人にお金をあげてよかった」って思ってもらえるくらいには気を遣おう。「嬉しそうにする」とか「美味しそうにごはんを食べる」とかその程度でいいと思うけど。


『ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』 pha (著) pp. 83-5

今のところもらってばっかりなので、「自我の拡張」が起きたかどうかはわからないけど。でも病気になってから「どうでもいい」(=「どう」「でも」「いい」。Anything is alright)の気持ちが高まったと思う。気が大きくなってる。


人は環境に規定されるという考え方が好きだ

 つまりは、対人能力があまりなくても孤独にならないようにしたいのだ。
 そのためには、雰囲気作りを個人のコミュニケーション能力に頼るのではなく、(…)システム的な解決をしたい。
 ぼくは特定の個人の能力や熱意によって実現されるものよりも、凡庸な人間でもやる気のない人間でも、その中に入ればそこそこ面白く楽しくなれるような仕組みに興味がある。人は環境に規定されるという考え方が好きだ。

 『ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』 pha (著) pp. 119-20

(phaさんとか)僕みたいなコミュニケーションに向いてないタイプの人間は、適当なタイミングで集団生活をしておけばいいと思う。そういう「環境」にいとけば、なんかどうにかなる確率が高まるってのはあると思う。かといって、熊野寮とか、なんとか・サールとかを他人に薦めるわけではないけど。

あと寮生活をしておくと入院生活は捗る。



「京大を出たのにもったいない」

 批判の中でも多かったのは「京大を出たのにもったいない」というフレーズだ。
 もったいない、そいういう意見を持つ人がいるのは分かるけど、そういうのじゃないのになあ、と思う。確かに僕は京大に入れるくらいに受験勉強はできたけど、それはただそれだけのことで、(…)
 僕みたいな人間が今死なずに生きているだけでなんとかラッキーだと思っているので、もったいないという評価はあまり適切じゃない。

 『ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法』 pha (著) pp. 130-31

毎日、自分のラッキーさを感じている。大学どうこうでなく、「〜なのに」って感覚を忘れそう。気が大きくなってる。




ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法

ニートの歩き方 ――お金がなくても楽しく暮らすためのインターネット活用法