なんか急性リンパ性白血病になった記

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みなさんからの贈り物をレビュー「移民の宴」(高野秀行)

読みました

送って下さってありがとうございます。

移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活

著者はこのひと→ (ブログ@daruma1021



どんな本

日本国内の色んな外国人コミュニティに行ってごはんを食べさせてもらって、その体験を紹介する、というのが12章ある。震災の直後の炊き出しなどの話もある。
そこで仲良くなった人の印象的なひとことが面白いことが多い。

感想

  • 面白かったです(小学生)
  • 具体的には
    • へぇ
    • うまそう
    • 食べたい
    • へぇ
    • 飲みたい
    • 行きたい
    • へぇ

引用

章ごとに0-2個。
述べるほどの意見はないので感想はすべて、「へぇ」です*1

表題は適当につけました。

成田のタイ寺院

千葉や茨城にはタイ人が多い
 タイでは家を新築したときや新しく店をオープンしたときに、お坊さんを読んで読経をしてもらう。千葉や茨城は日本でも最もタイ人の比率が高く、タイ料理店、マッサージ店、スナックも毎週のように開店するらしい。そこにお坊さんが呼ばれていくわけだ。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 29
肉のハナマサで買う
ただ、たまたま居合わせたタイの女性信者に「豚の臓物なんてどこで買うんですか?」とタイ語で訊いたところ、「肉のハナマサ」という答えがかえってきたのが印象的であった。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 24

震災下の在日外国人

広島と疎開とパン
 ちなみに、デンマーク大使館はどうか。大使は「何があっても逃げない」という志の高い人で、被災地にも行っているというが、他の大使館員は、本当に原発が危なくなった場合、広島に逃げる準備をしているという。そういえばフィンランド大使館も広島に「疎開」していた。
 どうして北欧系の大使館はみんな広島に行くのかと訊いたら、デニッシュ(デンマーク風パン)のベーカリーとして知られる「アンデルセン」が理由だという。(...)そしてあんd<br />
の本社は広島だった。
 疎開はパンつながりだったのだ。(...)
 でも北欧の人たちもまさか被曝を避けるためにヒロシマに行く日が来るとは思わなかっただろう。

 『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 90
カレーに関する妄想
 カレーがなかったら、被災地での炊きだしは今よりはるかに難しくなっていただろう。
 もっと言ってしまえば、カレーというのは元来が「炊きだし」なのではないか。現在のインドを中心とする南アジアは昔から文明が栄え、人口が桁外れに多かった。飢饉や戦争も多かっただろうし、平時でも、日々の食事を賄うのは大変な作業だったはずだ。
 経済的で、環境にもローインパクトで、おいしく、毎日食べても飽きず、大人数の分量を手早く作れる料理――それを追求していった結果がカレーなのではないか。
 震災下でも私の夢想癖はなかなか止まらない。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 94

南三陸町のフィリピン女性

「外国籍日本人」
日本に、南三陸町にしっかりと根を下ろしている。在日外国人というより「外国籍日本人」と呼ぶべき人たちなのである。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 110

神楽坂のフランス人

フランスで店を開くのは日本の十倍難しい
レストラン業のベテラン二人に「どうしてフランスでなくわざわざ日本に店をオープンしたのか」と訊くと、異口同音に「フランスで店を開くのは日本の十倍難しい」という答えが返ってきた。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 134
誰と話ができるかという話
 成美さんは「日本語しかできないようじゃ困る」と言う。でもそれはバイリンガルにしたいとか、国際人であってほしいという話ではなかった。
 「お父さんと会話ができない子供にはしたくない」と言う。「子供がお父さんと細かいところまで話のできる状況はつくらなければいけない」のだそうだ。
 同じように、「おじいさんと話ができない子供にしたくない」という理由で日本語を覚えてほしいし、「イトコと話ができない子供にしたくない」という理由でアラビア語も覚えてほしいと願っている。
 国籍や民族という理念めいたものでなく、「誰と話ができるか」という具体的かつ個人的な話であるのが新鮮に感じた。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 145

中華学校のお弁当

中華の常備菜は肉
 食事の話で、私が個人的にいちばんおもしろかったのは「常備菜」の話だった。主夫である私も「常備菜があれば便利だな」と最近思うようになってきたが、日本の常備菜といえば、主に煮物。作るのに時間がかかかるので、外で仕事をする私にはなかなか難しい。もし中華によい常備菜があれば知りたいと思ったのだ。
 すると、呉さんは小首を傾げてちょっと考えてから「お肉ですね」と言った。(...)豚の角煮とか腸詰めなどは翌日温めて食べることがあるという。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 161-2

群馬県館林市のモスク

ハラルのチキンはおいしい
興味深かったのは、アラブ系ブラジル人が輸出するハラルのチキンが日本でも安く出回っているという話。
(...)
 ちなみに、スーパーのハラルチキンは非ハラルのチキンと値段が変わらない。河合さんによれば「血抜きが上手だからおいしい」という日本人もいるとか。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 183-4

鶴見の沖縄系ブラジル人

「うちで見て」
 今では名実ともにブラジル人の拠点となったこのお店、ワールドカップのときなど、きっとこの大画面で試合を見て、みんな大興奮するんだろうと思って訊いたら、玉城さんは苦笑して首を振った。
 「ワールドカップはここでは流しません。あまりに騒ぎがひどくて、近所迷惑なんてもんじゃないんです。『うちで見て』って言います」
 やっぱりブラジル人はサッカーなのだなあとまた感心。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 204-5

西葛西のインド人

「寛容」と「排他的でない」
「新興宗教でも構わないというのは、やっぱりインドの人は寛容なんですね」。私が言うと、「寛容とはちがいます」ときっぱり否定された。
「排他的でないんです。いろいろな考え方があって、どれが正しく、どれが間違っているとかではない。どれも正しい。それを理解するということです」
 ハッと目が覚める思いだった。たしかに「寛容」とは「間違った存在や行動を大目に見る」という上からの視線がある。だがインドでは自分とはちがうものが同居していることが常態なのだ。それをわざわざ追い出す行為が「排他的」である。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 237

ロシアン・クリスマスの誘惑

ひっそりとメリー・クリスマス
 なんと、昭和天皇はロシアン・クリスマス当日に亡くなったのだ。在日ロシア人たちは動揺した。世間は祝い事をみな「自粛」している。パーティなどもってのほかだ。しかし、彼らにとってのクリスマス・パーティとは遊びではない。主イエス・キリストの生誕を祝うという宗教行事なのだ。
 「だから窓もカーテンをぴったり閉めて、音が外に漏れないようにして、ひっそりと『メリー・クリスマス!』ってやったのよ」
 付け加えれば、在日ロシア正教会は日本にひじょうに気を遣っている。この教会では、ミサの度に、「天皇陛下と日本政府の幸せと長命」を祈るのだそうだ。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 256
ロシアの習慣
「ロシアの習慣では、遅刻した人はウォッカを飲まなければいけません」

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 257

朝鮮族中国人の手作りキムチ

素材の味がそのまま出ちゃう
「生魚、生卵、山芋……ああいう生のものを薄味で出すというのが中国ではありえない。素材の味がそのまま出ちゃうじゃないですか」とまじめな顔で先生は言う。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 278
日本は気楽
「日本は気楽」――。
 日本人に対していちばん屈託がありそうな朝鮮民族の人からこんな言葉が出てくるとは。
(...)
 でも、中には高先生のように「特に好きでもないけど、気楽」という人がいても不思議ではない。実際、海外、例えばバンコク辺りに住む日本人にはそういう人が多い。

『移民の宴 日本に移り住んだ外国人の不思議な食生活』高野秀行 p. 289

*1:これ引用の適法要件満たすんかな